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達人インタビュー

情熱に満ちた会社再生請負人

やや小柄で細身な体型とチャーミングな笑顔が印象的。
初めて顔を合わせたセゾン保険サービスの社長・松澤攻臣氏からは
見た目からも物腰からも、いかにも人柄の良さそうな温厚な印象を受けた。
しかし、話しが及ぶに従って大きな修正が必要となった。
その内には誰にも負けない情熱が満ちていたのだ。

雰囲気を変え心を掴んだふた言

レイギアーズ達人インタビュー

「こんな仰々しいインタビューだなんて聞いていませんよ。それから僕はね、正面はいいけど横顔はダメですから」

 撮影用のストロボを設置したインタビュー場所の会議室に足を踏み入れ、席に着くなり、おどけた表情で言った松澤氏。その場の雰囲気を和ませたこのふた言だけで、ファンになってしまった。

 さて、まずは松澤氏の経歴から振り返ってみたい。安田火災海上保険(現損害保険ジャパン)出身の松澤氏は、専務取締役に就いていた同社を2002年6月に退社し、同月セゾン自動車火災保険の社長に就任。そして、2009年5月にセゾン保険サービスの社長に就いた。この3社に共通するキーワードは“再生”だ。

「安田火災の時は大半が新規部門や再生部門にいました。それから、セゾン自動車火災保険もセゾン保険サービスも当時は破綻寸前でした。そういう運命にあるんですかね」

 何の気負いもなく、部屋に入ってきたときと同じ自然体で語る松澤氏。だが、会社を再生するのは簡単なことではない。松澤氏はどのような魔法を使ったのか。その手腕に迫っていきたい。

金融庁検査時の危機と意識改革

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 まずセゾン自動車火災保険は、松澤氏が赴任する前から売却の話しが持ち上がり、社員が離散するという厳しい状況だった。2002年の社長就任直後の10月に金融庁の検査のメスが入り、検査中に免許剥奪に近い状態だとまで言われ、会社がなくなるかも知れないという危機に陥ったのだった。

「全てをオープンにし、見直して金融庁と話し合い、結果的に何もお咎めはありませんでした。ですが、そこからが大変でしたね。まず私が感じたのは、社員がひとつにまとまっていなかったということ。他部門を責め、非難し合う。そんな状況でした。今でも覚えていますが赴任した直後の7月19日、600名の全社集会で話をしました。私のこれまでの生き様やこれから会社が向かう道筋といったことを、3時間に渡って。それでバラバラだった社員のベクトルをひとつにまとめたのです」

 この講演後、松澤氏は全社員600名と熱く堅い握手を交わしたという。そしてもうひとつ、全国28カ所の営業所やサービスセンターを回り、『松澤塾』と称して、1年に1回は訪れて社員の顔を見て話しをしてきた。

「働くということはどういうことか、生きるということはどういうことか。そういうことを社員に向けて話しをしました。営業の数字ではなく、人間の持つ本質的な部分の話ですね。忙しくなってからは『メール松澤塾』になってしまいましたが」

 そう笑う松澤氏がことあるごとに言ってきたのは、“お客様のため”、 “give and give”。直接社員に話しをするという地道な行動で、各社員の考え方が少しずつ変わり、それに伴い数字も上向きに。金融庁の検査で明らかになった支払備金漏れを計上することにより大幅な赤字となったが3年で元に戻したことからも、その効果の大きさが窺い知れるだろう。その後、今の事業モデルのままでは将来の見通しが厳しく、ビジネスモデルの転換を図るべく対応。その結果、現在の同社の代表的な商品、ダイレクト型の『おとなの自動車保険』が生まれたのだ。

新卒の採用で会社の若返りを図る

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 そして、現在のセゾン保険サービス。ここも立て直しが必要な状態だった。松澤氏の言葉を借りれば、瀕死の重症状態だったそうだ。

「赴任直前は収益が赤字寸前でした。けれども何よりも問題だったのが、平均年齢男性49歳、女性44歳。異常ですよね。信じられないかもしれませんが、13年間も新卒社員を採用していなかったのです。そこで社長就任日に、『普通の会社すなわち「当たり前のことが、当たり前にできる会社」になりましょう。新卒の採用をしましょう』と話して、早速始めました。これはなぜかと言うと、会社は継続し続けることが大事で、それには新陳代謝が必要だからです。新しい芽が出てこないと、木が成長しないことと同じことです。でも、誰も新卒採用経験がないから、そのやり方が分からない。だから、全部自分でやりましたよ」

 2010年度に6名、11年度に5名、12年度に4名を採用し、会社の若返りが進んだ。じつは、これはセゾン自動車火災保険の時も同じで、5年間も新卒採用なしという状況だった。しかし、2003年頃は就職氷河期だったので、逆張りではありませんが22数名を採用。その後も毎年7〜8名ずつ採用し、今ではそのメンバーが会社の中核を担うポジションに成長しているという。

 また、松澤氏は社名の変更も行っている。就任当時は『株式会社ペトラ』という社名だったが、これでは何をしている会社かイメージできない。そこで親会社の“セゾン”ブランドを取り入れて、現在の社名に変更した。これは「分かりやすい」と顧客にも好評だったそうだ。

会社も個人も大切なことは人と心

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 もうひとつ信じられなかったことがあった。セゾン保険サービスには経営理念がなかったのだ。

「経営理念とは言わば会社の生き方。それなくして、どうやって仕事をしていくのか。だから、まずは経営理念、経営方針、社員の行動指針を作りました。それから中期経営計画もなかったので、それも作りました。普通の会社では本当に考えられないことですよ」

「やはり会社は人です。経営理念には『人材』ではなく『人財』としています。人は財産なのです。“お客様第一”とよく言いますが、突き詰めていくとそれは自分を高めなければ成し得ないことなんです。そういう意味では、『心』という人間性の豊かさを大事にしています。これは経営理念の中にも盛り込んでいて、社員にも日頃から伝えていることでもあります」

 松澤氏はメール松澤塾以外にも、社員の誕生日にはメールを出しているそうだ。ここにも、松澤氏の『心』と『人が財産』という想いが表れている。松澤氏の信念は確実に社員に伝わり、個人の意識が変わってきているという。

保険代理店なのに保険を売るのはタブー

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 このような働きかけの結果、収益は大幅に改善し、経営の安定化が実現できたセゾン保険サービス。その一方で、松澤氏は個人の意識改革と同時に、保険代理店という会社の役割もシフトさせているようだ。

「今までの保険代理店は保険会社の代理でしたが、これからはお客様の代理にならなくてはならないのです。仕事で役に立ってお客様に喜んでいただく、その報酬が給料なのですから、給料はお客様からいただいているという基本を忘れてはいけない。だから、『保険を売る』という言葉はタブーにして、お客様の問題を解決する『ソリューション業』にシフトしています。長生きリスクの不安、相続の不安など、人も会社も多くの不安を抱えています。それを解決していくことで、法人も個人もお客様から選ばれる代理店になることを目指しています。それが理想ですね」

 これからの保険代理店としてビジョンを語る松澤氏。だが、それは容易い道のりではない。

「『頼むから商品の説明はしないでくれ』と社員には言っていますよ。商品は手段で、目的はあくまでもお客様の問題を解決すること。保険はその手段のひとつでしかないわけです。少しずつビジネスモデルを変えていっている最中です」

 セゾン保険サービスでは、税理士や弁護士、社会保険労務士とタッグを組んで、法務・税務会計・労務対策・福利厚生など、企業が抱える課題解決のためのサービスを提供している。また、法改正に伴うセミナーも開催している。そこには“保険”という言葉はどこにも出てこない。このような活動を通じて、新たなビジネスモデルの展開を図っているのだ。

まさに今、起こるかもしれない避難訓練

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 保険というと、3.11の東日本大震災が思い起こされる。この他にも多くの災害が各地で起こった。茨城では竜巻の被害もあった。タイでは洪水で日本企業の多くの工場がストップした。今までの保険の役割は万が一だったが、3.11以降は想定外という言葉はない。

「たとえば災害が起これば、保険の問い合わせがたくさんくるわけです。そのときに通じない、対応できないでは、保険代理店としての責任を果たせない。そのために、リチウムイオン蓄電装置の『eneru(エネル)』を導入しました。いつ、何が起こるか分からない。そんな状況で、このeneruを導入することは必要経費だと考えています。使うことがなければよかったね、ということですね」

 また、セゾン保険サービスでは防災危機管理も徹底して行っている。

「おそらく、どこの会社も防災危機管理マニュアルは作成していると思います。でも、作っただけではだめ。それを訓練しないと、いざというときに何も役に立たないのです。3.11のときもそうでした。津波が来たら高台に逃げなさいと訓練されていた学校の生徒が生き残ったという話があります。頭で理解しているだけではなく、体得していることが重要なのです」

「社員の机の下には、ヘルメットや非常食、飲料水(ウオーターパック)などをセットにした非常用袋を常備させています。それから、避難訓練は予告なしで実施しています。実際に今、避難訓練があるかもしれませんよ!」

 さすがにリスクマネージメントを行っている会社だけあって、その言葉には説得力がある。

 最後に話のなかで伝えきれなかったエピソードを。松澤氏は、安田火災時代野のシステム部門の時にプロジェクト終了と同時に肺炎で入院したり、電車の中で倒れたり、点滴を打って仕事に戻ったりと、そのようなことを何度も経験しているそうだ。それでも仕事をするのはなぜか。それは引き受けたからにはやり遂げるという、確固たる使命感と情熱があるから。

 そしてもうひとつ、松澤氏が家庭教師で生計を立てていた大学生の頃の話。川崎市で小学校6年生の家庭教師を引き受けた。しかし、その子供はなかなか勉強しない。そこで、多摩川の河原で半年間キャッチボールをしながら、なぜ勉強をするのか、社会はどういうところなのか、そういうことを話した。半年後、その子は何も言わなくても自分で勉強をして優秀な成績を取るようになった。

 情熱と心。この2つが松澤氏の経営の根本になっている。「これまで数字のムチを振ったことはない。けれどトップを取ってきました」と松澤氏は語る。松澤氏の情熱と心が社員に伝わり、それが結果として表れているのだ。